りっすん様にはこのような機会を頂き非常に感謝しております。
ホームレスで色んな場所を転々としてた約3年前の僕
友達にも恥ずかしくて言えず、バイト先にも家族にも黙って色んなところを転々としてた時がありました。
(今でもそうしていたことはほとんどの人に話していません。)
結局当時彼女だった子の家に居候させてもらうことになるのですが、居候させてもらうまでは自分の惨めさに中々そう行ったことを切り出せずしばらくは外でぶらぶらしていたり、友達の家で宅飲みして泊まらせてもらう等をしながら生活し、バイトに通っていたりしていました。
経緯としては
『大学に通うお金云々の話で親と揉め』⇨『そもそも家族との関係が悪く家に いることが困難になる』⇨『学費を払うのが難しいので休学を選択(僕の大学は休学のお金がかからない大学だったので)』⇨『結果的に家から出て行き一時ホームレスに』
という流れで上記の状況に至りました。
僕の生い立ちや人生の全てを記述することはできないので、端的に『迷い』と『決断』について書いていこうと思います。
過去の僕の『迷い』と『決断』
僕の家は『宗教』をやっています。
(この部分も本当は書きたくないですねー。なんの宗教かは伏せます。)
僕自身この『宗教』がとんでもなく嫌いで親との不仲はそれが主な原因でした。
大学の学費問題も家の経済状況が大部分の原因でしたが、それ以前に『僕が宗教に対して反発していたこと』から間接的に『信じないと大学には通わせれない』という半ば宗教を強制された部分がありその結果家を出るという選択を取ったのでした。
大学という安定を宗教を信じるという行為でとる方が合理的だったかもしれません。
(信じるふりを大学卒業までしてれば問題ないわけですし)
それができなかった僕にはちょっとした理由がありました。
精神的に不安定だった当時の僕
睡眠導入剤と抗うつ剤で吐き気と味覚が変わるなどの症状が酷い
言ってしまえば僕は『精神病の人』だったわけです。
精神クリニックに連れて行かれ『抗うつ剤』と『睡眠導入剤』などを処方され、死にたくなる気持ちの気落ちや不眠症は改善されるも副作用による吐き気(胃もキリキリする)や味覚が変わる(食べ物が苦くなりました)症状に苦しめられました。
結局当時、医療職の学生だった彼女に止められ薬は全部摂取することをやめた記憶があります。(どんな薬だったかは覚えていませんが二度とごめんです。)
クリニックに連れて行かれた経緯として鬱のようになっていた僕を見かね連れて行かれたことが原因です。(本当に僕のことを心配していたかは謎)
宗教云々の強要と親(特に父)のヒステリックな対応に嫌気がさし何度も死のうとした記憶があります。その結果薬に苦しめられるわけですが。。。
(中高生時代でもなんども死のうとしてましたので、結局死ぬ勇気がなかった部類の人間です。)
結局その『迷い』と『決断』で僕は何を得たのか
正しい決断だったとはまだ言い切れないがそれを正しくするのが僕の仕事
大学に通えるが、借金と宗教という見えない何かと何かわからない親に殺されるのではないかと怯えながら狂っていくよりは『自分で苦労して幸せを探す方が100倍ましなのではないか』と思い家を飛び出しました。
何の計画もなしに飛び出したわけですから、前述したようにほぼホームレス生活を行いますが、周りの人々に助けられ今もこうして落ちぶれずに生きることができています。
しかし、あれから3年が経ちましたが、いまだに僕は完全に幸せになれたとは言えません。
フリーでライターをしながらサイト運営、こうしてブログを書く生活はまだまだ安定せず、時々バイトもして食いつなぐ毎日です。
それでもあの時3年前の僕に会えるならその『迷い』と『決断』は間違ってないと言ってやりたいです。
苦労しながらも多くの経験や人々の優しさに触れたり、時には社会の厳しさや辛い現実を突きつけられる日々ですが、
あのままあの精神状態で自分を押し殺して手首を切り続けていないのであれば少なくとも当時の自分をこの『決断』で救ってやれたのかなと。
この3年間でまだまだ社会的に確立した地位もないし経済的にも不安定だけど、それ以上に多くの親友と呼べる友人や知人、兄弟に囲まれて薬なんか飲まずに笑って暮らせることが今一番の救いだと思っています。
まだまだ23歳で人生やれることは沢山あるはずなので、この『迷い』と『決断』を糧に誰よりも幸せになろうと。
3年前の当時の僕の『迷い』と『決断』を後悔させない為に。
#「迷い」と「決断」
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