僕が思うに人生の殆どは運ゲーで、運によって努力の量や人生の質も変わっていくのは否めないと思っています。
そもそも生まれた時点で『子は親を選ぶことができない』『自身の容姿や身体のポテンシャルは選べない』と言う時点で運が実力や努力云々よりも先にくるスマホゲーと同じです。
(しかもリセマラできない縛りがある)
結論僕らは生まれた時点で運ゲーの人生ゲームをしてるわけでそこから成功する(あるいは幸せになる)までの努力量は運に依存します。
人生は運ゲーとしか言えないのか?
ここで大前提としてあげておきたいのが、『あなたが特別な出生や天才的な何かを持っていない場合』を想定して書いています。
仮に『特別な出世(すごくお金がある等)』や『天才的な何かを持っている場合』はそれらの才能である程度の努力量で人生をなんとかなるので除外します。
(それらに該当する方々は別のステ振りが偏っている場合もあるのでなんとも言えませんが)
今回は『ある程度の凡人』のごく普通な人に向けての記事です。
話を戻します。
そのような方はやるべき事はまず『自己分析』です。
特に『幼少時代や中高生時代になんでも器用にこなしてきた方』は特にこの作業を怠ると成功から遠のきます。
理由は以下の2つです。
①器用貧乏はただの貧乏になりかねない。
②何でもできると自分の才能(秀でてる部分)に気づきにくい。
①は実際に働いた時や何らかの形で社会出たときに気付かされます。
器用貧乏はただの貧乏になりかねない立場で何でもできると目立った仕事よりも『使い勝手のいい何でも屋』になってしまう可能性があります。
(もちろん職場によりけりですが、実力社会であれば圧倒的な天才の方が重宝される場面が多いかと)
②は自分自身の『才能(天才までは行かなくても秀でてる部分)』に気づきにくいというデメリットです。
これに関してわかりやすい例を上げるなら、小学生からなにか一つのことをしてきた人間と何でも平均以上してできた人では20歳になった時の『できる』の基準がだいぶ変わってくるわけです。
小学生か一つのことをやってきた人間はその道ではある程度の『プロ』とも呼べる技術を身に着けているかもしれないですが、平均以上をいくつも出来る人の能力は社会では『素人』の領域として判断されがちです。
一つの事をやってきた人間というのは精神的にも評価されるので必ずしもその道で仕事を探す必要もないので『社会からの評価』という点においては前者が強いのは否めないでしょう。
器用貧乏でも光るものを持ってる器用な奴になれ!
早い段階で『自己分析』で才能探ししてる人は成功が早い
器用貧乏成り上がるコツは『自己分析』です。
人生の早い段階から『自己分析』を絶えず行って来た人は自分の才能に気づきそれを育てることを行います。(ただし自己分析していた人でも自分の才能に自信をつけれず器用貧乏になってしまうパターンもある)
自分の才能をいち早く見つけ光るものを磨く行為をいち早く行った人は武器を持った器用貧乏になることができます。
(まさに器用貧乏の上位互換です。笑)
自分の持ってる手札とカード毎の特性、使用用途や育て方を知ってしまえば人生なんてイージーになるよって事ですね。
自己分析のやり方はまた別記事で書きたいと思います。一旦今日はこのくらいで、ではでは。