何で突然こんなことを書こうと思ったかは正直僕にもよくわからない。
ただ単純に『死の引力』って言葉に惹かれたのもあるけれど、そんな力が本当に存在するならそれに僕も引き寄せられていた時が間違いなくあったなと思ったからかもしれない。
『死の引力』は存在すると思う。
人には惑星みたいな性質があってそれに引き寄せられると死ぬって解釈
僕の『死の引力』の解釈は人はみんな惑星みたいな性質があって、それが人と人を引きつけあってるんだなーってことなんです。
『恋』や『友人関係』『仕事』って部分にも共通して引かれる引かれないが存在するように『人の死』にも引力が存在するよねーって話なんですね多分。
何事も引力(魅力とかかな?)が存在するなら『死』にも魅力が存在するんです。
身近な人が死ぬと『自分が死んだら』って必ず比べると思うんです。
(恋や仕事、友人関係でも自分だったらと比べるのと同義)
『死』にはすごく力が強くてそこに引き寄せられると『死にたくなる』あるいは『死を意識する』のが人の性なのではないかなーと。
まぁでも大体は『死の引力』では人は死なない。
その理由は『他者の引力』が僕らを死から引き止めてくれるから
でも、誰か身近な人が死んで後追いで死んじゃうってパターンは結構稀なケースだと思うんです。
結果的に『死の引力に引き寄せられて死んでしまうパターン』はよっぽど死の引力が強力だったか、他者の引力が弱かったかの2ケースかと。
強いパターンは『引力(つまり繋がり)がよほど強い人物だった』というケースですかね。身内の場合でも配偶者や血縁関係が近しい存在ではないでしょうか?
あとは『他者の引力が弱い』ケースはその人以外の繋がりがなくて、『死の引力以外に自分を引き止める引力が存在しなかった場合』です。
高齢者で妻に先立たれると夫もすっかり弱るその様はかなり的をいてる気がします。
(僕は寂しがりやなので、すぐにコロっと逝っちゃうと思います。)
んで、本題に戻ります。
『死の引力』で死なないケースが多いのは前述している『他者の引力』の存在があるからなんですよね。
『他の引力』(他者との繋がり)があると死ぬ選択肢は圧倒的にカットされていきます。まぁ当たり前といえば当たり前ですが、それでも『身近な人が死んで何で自分はその時に死ぬことを考えないんだろう』って思うこともまずないので、その『他の引力』の存在を認知することって結構ないんだなーと思ってます。
『死の匂いにさらされても生きようと思う気持ち』もしくは『死にたいと思わない健全な心』ってのは少なからず『他者の引力』に自分が引かれてるからというのはあるんじゃないかなと。
(他者の引力はあくまでも本人は無感覚の力なので例えば好きな芸能人とかでも自分に対して引力が働いてると解釈して良いかと、何なら人物でなくても引力は存在する解釈ex)ペット、大切な物、2次元)
『他者の引力』に気づくと世界が変わる。
生きてるだけで僕は誰かの引力になってるのかもしれない
結論ですが、要は『周りを見渡すと俺ってまだ生きれるな』って思えるそんな世界があるよーってことです。
学生時代にいろんな弊害で『死にたい死にたい』って思っていましたが、結局僕は『他者の引力』の方が強かった。だから親友が自殺した時や身内が死んだ時も死ねなかった。
僕は幸せだなーといろんな人と仲良くなる度に思うと同時に、親友が死んだ時に『僕は彼を生かす引力になれなかった』そんな後悔も生まれるわけです。
そう思いながら人と接して泥臭く生きてます。
まぁ、まだまだですがこれからも頑張って好きなこと続けながらいろんな方の引力になれるように頑張っていく生活を楽しみます。
周りの人だけでも生かせたらそれだけでかっこいいと思ってる。