思考ノイズ↵

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アフターコロナの世界線分岐を考える。SF物語は大体『○○の後の世界』だ。

コロナウイルスが蔓延し、世界はかつてない状況になっている。

コロナがもたらした混乱は前代未聞であり、誰も予測しなかった想定外の出来事だっただろう。(多くの人がこんなにも大事になると思わなかったと感じたに違いない)

とうとう、緊急事態宣言も発令されコロナの影響がどんどんと僕らの私生活を蝕んでいく。

 

今回書いていくのはそんな今の話ではなく『コロナウイルスが収束した世界』=『アフターコロナの世界線』についてだ。今を生きる僕たちがどういった想像力を働かせないといけないかを考察する。

 

 

アフターコロナの世界線分岐を考える。
SF物語は大体『○○の後の世界』だ。

 

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アフターコロナの世界線分岐を考える。 SF物語は大体『○○の後の世界』だ。

 

『アフターコロナ』と言う造語が生まれる最中、我々は想像力をフルに働かせないといけない。

なぜなら、それらは前述した様に今の状況は人類が体験したことのない『未経験の世界』だからだ。『東京オリンピックは延期になり』『某有名著名人は病に倒れ』『感染者数は100万人を超えた』中華発の新型ウイルスは人類の想像を遥かに超え『自分には関係ない』と思っていた人々の日常にもはびこり始めている。

 

ここでタイトルの話になるが『アフターコロナの世界観を考える。SF物語は大体『○○の後の世界』だ。』という題名。

 

そう僕は今こそ人類は
SF物語の想像力が必要なのではないかと思うのだ。(⬅︎はぁ?)

 

 

 

 

SFは『人類の未来』を描く。
多くの技術者・科学者・クリエイターのイメージヒントになっている。

 

『なんでSF?』と思った人も多いかもしれないが、一からそう思った理由を説明していく。まずはじめに『SF物語とはどういう属性を持っているか?』について個人見解を話す。

 

SF=サイエンス・フィクション

サイエンスフィクション(英語: Science Fiction、略語:SFSci-Fiエスエフ)は、科学的な空想にもとづいたフィクションの総称。 メディアによりSF小説、SF漫画、SF映画、SFアニメなどとも分類される。 日本では科学小説、空想科学小説とも訳されている(詳細は呼称を参照)

 

SFとはサイエンス・フィクションの略称でファンタジーよりも科学的な空想だ。

ただの物語ではなく、科学的という点で単純な想像の世界と異なり『リアルと互換性がある世界観』で描かれることが多い。

つまりそれは今の世界から想像できる『未来の絵』なのだ。

そのため多くの技術者や科学者、クリエイターが何かを行う際に代表的なSF作品はそのイメージの核になっている場合が多い。

 

僕の大好きなクリエイター『小島秀夫』は幼少期に触れた小説や映画に影響を受けたと語っている。また、彼は10代の頃に父親を亡くしていることがSFの世界観と死の世界観を融合する今の自分自身が描くものの核になった様だ。

 

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「僕が知らないものを見せてくれたのが映画であり、小説なんです。行ったことのない国、風習、人々、あるいは過去やSFであれば未来にも行けます。自分とは異なる性別にもなれます。それは僕にとって、今とは違う場所に連れて行ってくれる『宇宙船』のようなものでした」

「父親が亡くなり、一人になった時期があったんです。その時に自分を助けてくれたのが、映画であり小説でした。この経験があったからこそ、エンターテインメントや物語のもつ力を深く知り、そんな物語をつくる仕事に就きたいと考えるようになったと思うんです」 

 

彼の新作のゲームタイトル『DEATH STRANDING』では一言では語れない世界観と内容が詰まっている。そんないい意味で『わけのわからない物』を手がけられるのも触れてきたSF作品が影響しているのは間違いないだろう。

 

話を戻すが、彼以外にもやはりSFに触れ先進的な技術開発を行う技術者や科学者は多くいる。それだけSFというものは人類の想像力であり人類が起こりうるであろう未来を示唆しているコンテンツだと僕は考える。

 

 

そして、今人類が直面している『コロナウイルスの蔓延』という課題に対してSFは解決策を見出してくれる1つのヒントとして作用してくれるのではないか?

なぜならSFの物語で語られるのは大体『○○の後の世界』だからだ。

 

 

 

SFの物語で語られるのは大体『○○の後の世界』だ。

 

 

『核戦争後の荒廃した世界』

『新型ウイルスの蔓延後の世界』

『様々な社会問題を表面的に解決したディストピア

 

どれを取っても『○○後の世界』が描かれるのがSFの特徴だ。

つまり『コロナウイルスが収束した後の世界』もSFをベースに想像することは可能ではないか?という結論に落ち着くのだ。というわけで個人的な見解で『アフターコロナの世界線』を複数考察してみる。

 

 

 

コロナウイルスが収束・ワクチンの完成。経済的にも回復するが・・・。

まずは一番ハッピーエンドと思わしき世界線

『コロナが収束しワクチンも完成、人々は感染病の恐怖から解放され経済も回復していく路線』

一旦はワクチン完成や収束の最中の問題点はこの話では議論しない。あくまでも収束後の世界観を考察する。

 

個人的には一番こうあってほしいが、この世界線は必ずしもハッピーエンドではないのではないかと考える。その理由が以下の項目だ。

 

感染症の恐怖により病気に対する嫌悪・過剰な健康志向が普通になり、その後人類は誰も死なない世界を目指す様になる。
→その後誰も死なない世界が訪れるがそのシステムを管理すべくSFでいうディストピアの様な世界が訪れる。』

 

名付けて『ディストピア世界線』と呼ぶことにしよう。

 

ここでの人々は『死という概念を忘れている存在』となっている。

病気や怪我も社会の管理システムによって抑制され、事故も起こらない。そして老化することによって起こる衰弱死ですら『昔は人類は感染症で大勢死んでたんだって〜』と言われる様な過去の出来事になっている。

 

一見ディストピアなんかじゃなくユートピアの様な世界だが、SF作品の多くでこの様な状況をディストピアと呼ぶのか?多くの作品がヒントをくれる。

 

ディストピアまたはデストピア英語dystopia)は、ユートピア(理想郷)の正反対の社会である。一般的には、SFなどで空想的な未来として描かれる、否定的で反ユートピアの要素を持つ社会という着想で、その内容は政治的・社会的な様々な課題を背景としている場合が多い。

平等で秩序正しく、貧困や紛争もない理想的な社会に見えるが、実態は徹底的な管理・統制が敷かれ、自由も外見のみであったり、人としての尊厳や人間性がどこかで否定されている。

 

 

 

結果的により完璧に近づけた世界にはその完成度を上げるために何かを犠牲にしているのがディストピアの特徴だ。

多くの物語で語られているディストピアは完璧に幸せを追求しそれが与えられている様に見えるが、それを実現するために実は多くの犠牲を払っている、
例に挙げるなら伊藤計劃の『ハーモニー』では上記の様に誰もが死を意識しない世界を作り上げたがその社会を実現するために過度な情報管理が敷かれ人々にはプライバシーそのものがなくなっている。また、本当の意味での『自由』が欠落していて、『あなたに取ってのいちばんの幸せは・・・。』という風に人生を決められる社会と化している。

 

その様な世界はある意味で幸せとは程遠いと言えるのかもしれない。ただ第三者視点で物事を完全に評価する事は難しい気がするのでそれは間違っているとは断定する事はできないのも事実だ。

 

 

 

②コロナ収束が長期化、世界経済が停滞し弱者から淘汰されていく

 

第2の世界線は『コロナショックによる経済崩壊』が起こってしまった世界だ。

今現在身近に経済の波を感じている人にはよりしっくりくる世界線だと思うが、オイルショックなどの世界恐慌を経験していない若い世代はピンと来ないかもしれない。

(かくいう僕も24歳ですが。。。)

 

こうなってくると行き着く先はオイルショック等と同じく、経済が崩壊し失業者であふれそれを救済すべく国力をどんどん削っていき経済格差がもっと顕著に現れる。

行き着く世界は資本主義世界の崩壊だ。

 

国というものが崩壊し、資本主義に変わるものが生まれない限り世界は混沌に包まれる。かつての世界の序列は過去のものになりコロナの影響を最小限に抑えられた国がもしかすると世界を代表するかもしれないし、最悪の場合、国家というものがなくなり国同士ではない何かの世界大戦の再来なんてことだってありえる。

 

国家がなくなるなんていうバッドエンドはお願いだから向かえないでほしいと願っている。

 

 

ちょっと書くのが疲れたのでこの辺にしておく。

今日もまた3桁の感染者数が東京で発表され、明日明後日には緊急事態宣言が発令される。読者の皆さんも家にこもりっぱなしでお疲れかもしれないがどうかこの恐慌を乗り切ってほしい。

 

 

一緒に頑張りましょう。