思考ノイズ↵

このブログは僕自身の『思考ノイズ』をさらけ出す無駄話ブログです。↵

等身大でいれること、人生のタイミング

幸せの定義は人それぞれだ。

それを大前提に僕が思う幸せの一つである【等身大でいれること】について少し書いていこうと思う。

 

僕は自分の生い立ちや人生を振り返ってみると、どうもこの等身大でいれたことが少なかったんじゃないかと思う時がある。

両親はある種の凝り固まった価値観で僕の考えを認めてはくれなかったし、友人や周りの人間に対して本当の意味で自分自身のありのままをさらすことはなかったと思う。

 

あまり信じがたい話かもしれないけれど、両親に否定ばかりされるあまりいい子でいようとする強迫観念が僕の中で形成されて、物心つく頃には自分が形成したコミュニティに対しても【本来の自分を隠す】という防衛機制を張ることに努めた。

自分自身の本来の性格や人格を否定されるのが怖かったのもあるし、そんなことで周囲の人間に迷惑をかけちゃだめだという今となっては何を基準にしてそう判断したのかわからない行動理念を持っていた。

 

幼少時代から無意識のうちにそんな周囲との接し方を会得した僕は周りからの評価は抜群だった。誰からにも好かれ、人気者と呼ばれるような類でいつもクラスの中心にいてもクラスの誰とも分け隔てなく接せるそんな優等生でもあったと思う。

 

思春期と呼ばれる中高生の学生時代からは異性からのアプローチが増えた。

ただただ自分を押し殺して周囲と合わせるだけで少し大人に見えたのかもしれないし、ただ好みの顔がその女の子たちにとって僕だっただけかもしれない。

とりあえずモテた。それは大学の頃やそのあとまで続く。

 

異性にモテると年頃の男子であればその恋を通して男性としての喜びと女性を喜ばせる術を覚えていく。そうなっていくと中毒のようなものに派生して、【女の子と遊ぶ】ことがステータスのような方向に向いてしまいがちだ。

僕も例外ではなく、単純に身体だけの関係を望んだし本気で恋をして結婚を考えることもあるにはあったけど頭の片隅にあるだけで、もう少しいろんな女の子と遊んでいたいというのが本音だった。

目の前の人を幸せにするよりも周りの男たちよりも男として優秀であることや、仕事やお金の方が大切に思えてた時期だったと思う。

 

話を戻すが、これだけ異性との関わりがあってもその中で僕の硬い自分自身の殻は破れることはなかった。過去のことや自分の稀有な生い立ちを話すことはあっても、その後の関わりで本物の自分をゆだねることができる人間がいたかというとやっぱりいなかったと思う。(結果的には)

交際の要所要所で自分自身を開放するそんな場面はあったかもしれないけど、それはスタンダードになることはなくまた分厚い殻を形成する繰り返しだった。

 

 

そして今現在、特にどうということはなく僕はごく普通に生きている。

変わらず自分の殻は硬いままだが、他人との接触を減らし、極力一人の世界の均衡を保ち続けることにした。

正直得策ではないと自分でもわかってはいるけれど、今はこれが一番楽なのだから無理したくない。いずれこの殻を脱いで自分自身が本当の意味で等身大でいれるようタイミングがあればそうしたい。

そのままでもいいじゃないかという意見もあるかもしれないが、僕は好き好んで本来の自分を隠しているわけではないし、できることならそのありのままでいることがストレス値もすごく低いと思うのでそうしたい。

 

 

ただ人生はタイミングなのだ。

 

何かを思い立ってもタイミングが合わなければうまくいかないのが人生で、仕事ややりたいこと、結婚や出産みたいな人生の一大イベントなんかもやはりタイミングが重要なのだ。

僕は単純に自分自身をさらけ出すことをあきらめたわけではなく、ただそのタイミングを待ち続けることにしただけで一生自分が自分自身でいれない世界なんて絶対に嫌だとも思っている。

 

 

 

ただタイミングが合っていないだけで、今は人の価値観で切り取られてしまった自分の一部や作られた自分でタイミングを合わせて飛びに行く大縄跳びの待ち時間でただただ【等身大でいれる日】を待っているという感じです。

 

やっぱり本来の自分【等身大でいれる】ことはとても素敵な幸せだと思うし、そうあれる人生を望むことでいろんな好転反応もあると思う。だから現状の自分(ありのままで生きれているならそれでよし)からもっと本来の自分で淹れる環境や状態を追い求めることは生きていくうえで必要不可欠ではないでしょうか。

その際に追い求めていく過程で他者と比べたり自分の今は不幸だと思ってしまうのは違うわけで僕はそうせずに【ベストなタイミングを待っている】わけです。

 

待っていればいずれそうしてもいい時が来る気がするんですよね。釣りみたいなものです。心や身体の準備をしてその時を待つことが人生のタイミングと等身大で淹れる人生の送り方な気がします。

 

うまくまとまってないですが、今日のつぶやきはこの辺で。