ふと精神的に追い詰められて死にたいともし思った時に僕がおそらく思い出すのは、自殺した知人のことだ。
「死にたい」と心が叫んでいるときに死んでしまった人間を思うのはごくごく普通な考え方なのかもしれないが、僕はそれに加えて自ら死を選んだ彼らをうらやましく思ってしまう。
「死にたい」と口に出すことで深層的な心理とその箱の中身に気づいてくれる人が近くにいるならそれは幸せだ。
ただ、「死にたい」という言葉には大体の場合それらに半ば「嘘」が含まれている。本気で死のうとしている人は他人に承認される欲求などとうに捨ててしまって、人よりも安らかな態度をもって接し決して慈悲を乞うこともしない。
「死にたい」という発言は本当にその発言者の死にたいと思っている感情の形の一種ただそれだけで、生からの解放を求めた勇気ある者たちは死に、生き残っている僕たちは「死にたいほどつらいけど死ねない」ただそれだけなのだ。
そして僕は今日も生の中でただただ生き残り続けている。
僕は自殺した人が知人で二人いる。
二人とも20代の初め頃自ら命を絶ってしまった。
確か21歳と22歳の年齢で、そしてそれは同じ年の出来事だった。
当時の訃報はとてもカラッとしていて人生の経験値や物事の理解力に乏しかった当時のぼくには実感がわかなかったし、二人のうち一人は死んでから半年くらい経過した後にこの世にいないことを知った。
僕は他人が死ぬことには決して慣れていないのだが(人がたくさん死ぬような災害や戦争を経験したわけではないから)不思議と悲しいと思うことはなかった。
かっこつけてるとか別の深い意味があるとかではなく本当に死を理解しても本当の意味で感情が動く気配がない。それは当時も今もまだそのままだ。
そしてそんな悲しみを持てない僕が非常に不謹慎な話なのだが、そのうちの一人の亡くなった故人の葬式で友人代表としてあいさつをした。
21歳にもかかわらず死んだ彼の葬式の参列者は100名を超えていた。
有名な名門私立大学に通って大手のサークルの中でリーダー的な存在を努めていた彼は多くの友人から信頼を勝ち取っていたし、僕から見ても彼は才能に秀で頭一つ分抜けた天才的な存在だった。
人の信頼はやはり葬式でわかるものなのだと思う。
彼は自室で自分の首を包丁で切って死んだ。
周りのだれもがその死の気配や匂いといったものに気づくことはできなかった。
僕もその中の一人だった。
彼は孤独という息のできない水槽の中で呼吸できないことがひどくつらかったのかもしれないし、あるいは天生の思いっきりの良さと好奇心の影に囁かれ、猪突に死の世界が気になって旅行感覚で死んでみることにしたのかもしれない。
誰もがいくら考えても彼がなぜ死んだかはわからない。
本当はわからなくもないのだが、死人に対して「わかっている」「そう考えていたのだろう」と生前に理解してやれなかった過去をなかったことにし、死者に対して敬意や慈悲を抱くくだらないそれらを向けることが僕は嫌いだ。
更にいえばここで考えられることのすべては生きている人間の想像と妄想の創作物で死者はそれらの材料でただの虚偽的な事実を作り話のネタとしてしか昇華されない。
要するに無意味だ。
少なくとも僕はそれに意味を見出さない。
当時の事に対した僕の話もしてみる。
僕は彼が死ぬ8時間前くらいに彼が危篤であることを知った。
小学校を卒業してからの付き合いだった彼とは腐れ縁で、僕は彼が死ぬ1ヶ月ほど前に彼に会っていた。
その日は同窓会のような集まりで大勢の人数が集まっていた。
僕たちは特に仲が良かったわけではなく、だた久しぶりに会った友人を装い業務的に彼の話を聞きそして僕の話をした。その時の話の内容は正直ほとんど覚えていない。
だけど、薬の話をしたことだけは覚えている。
当時の僕はだいぶ精神的に参っていて睡眠導入剤や抗不安薬、抗うつ剤の薬を常用していた。彼にはそんなもの一生縁がない物だとおもっていたが、僕の薬の話には異様に食いついていたことだけは覚えている。
本当にその時はそういう類のものに縁がない人だと思っていた。
「睡眠導入剤は眠れるけど寝た気がしない、寝起きが最悪」とか「抗うつ剤の中には味覚が変わるものがある」とかたわいもない精神病者の日常を話した。
彼はただ僕の話を聞き「そうなんだー」とか「それは大変だなー」とかありとあらゆる相槌で僕のことを慰めてくれていた。
阿吽の呼吸でもできる親友みたいな存在だったならその時に彼も何かしらの問題を抱えていることに気づけたのかもしれない。けれど僕は彼にとっての親友になり得なかった。。
鈍感であることは恋愛以外の場面でも時に罪になる。
危篤の話を聞いたとき、当たり前のように実感がわかなかった。
4月だったこともあって始めは友人のくだらないエイプリールフールの延長戦だと思った。(その日はもうすぐ日が変わりそうな時間帯の4月13日だった。)
だんだん友人の声のトーンやメッセージの内容の温度感でどうやら本当に死にかけている彼がいることに気づいた。
そしてただ、そこに行かなければいけない使命感にかられタクシーに乗って千葉から東大前の大学病院まで向かっていったのを今でも覚えている。
タクシーの中で運ちゃんとタクシーを使うことに馴れていない20代になったばかりの若者が二人でいる無機質な車内の異様な空気の中で状況を整理した。
段々自分の人生に起こるか起こらないかの何かが始まっていることに実感がわいてきてこれから起こる出来事とどう対したら最善かを考えている自分がいた。
21歳の僕はだれかにこの話をしないと気が済まなかったのかもしれない。(今でも多分同じことをすると思うけど)タクシーの運ちゃんに行き先を伝えしばらくたった後に今の話をすることにした。
「人って簡単に死んじゃうものなんですかね?」
猪突にそんな質問をぶつけられても運ちゃんはあまり動じたようには見えなかった。
職業がら血だらけの人を乗せることだってあるのだろう、修羅場をくぐりぬけてきた歴戦のタクシー運転手はやはり肝が据わっている。
「人が死ぬってどう死ぬんだい?」
「僕の友人が今危篤みたいなんです。なんでも自殺をしようとしたみたいで。」
「若くて男で自殺ならそりゃ金か女だなぁ。」
「でも普段からそういうやつじゃないんです。変な話も全く聞かないし、女関係でだらしないこともなかったんです。ましてや僕みたいなのと比べ物にならないくらい顔も整ってるし、名門の大学の大手サークルのリーダーだし、悪い人生だとはだれも思わないくらい幸せだったと思うんです。」
「兄ちゃんも俺からしたらだいぶ男前だぞ。」
「はぁ。」
これが僕と運ちゃんとの到着までの1時間半くらいのすべてだった。
タクシーから降りた時の値段は21150円だった。
2万円と小銭が少ししか持ち合わせがなかったので、先についていた友人に1000円を借りてタクシーの運ちゃんに支払った。
「そんなことなら2万ぴったりで降ろしたのに。」
と運ちゃんに言われ
「生き返った友達に返してもらうので大丈夫ですよ。気にしないでください」
と返事をした。
「健闘を祈るよ」
と少しかっこいい捨て台詞で運ちゃんは軽快に去っていった。
そして4月14日の早朝に彼は亡くなった。
多分続く。。。